五月の王
著者: 川野里子
ふるさとは海峡のかなたさやさやと吾が想はねば消えてゆくべし
ヒヤシンス宙吊りの根がふるひつつ伸びゆく痛さを见つめてをりぬ
昏れゆける火の山が吐く火の烟ほうほうとして巨人は眠る
関门海峡に夕べ桜はふぶくとふ父母さへはるかにかすませながら
あめんぼの足つんつんと蹴る光ふるさと舍てたかちちはは舍てたか
目闭づれば风のかなたに风生(あれ)てわれは根のなき光のセロリイ
舞ふ鹰に掴まれてゆく骨すずし鸟葬のことチベット记に読む
すやすやと眠る体に骨も眠りこの子も天の巣落鸟(すおちご)ならむ
光の中谁にも见えぬ壳脱ぎて子は歩みたし母は抱きたし
〈东京は人を杀す〉かあはあはと生きて寄りゆく春の栏干
明暗の〈明〉ぞしづかな问ならむ光よろこぶ春神田川
背のびしてセロリ见てゐる幼子の発芽のやうなひたむきに逢ふ
ヨーゼフは千鸟足にて帰り来ぬ男の子生まれて七日树の暗
圣母子の风闻ののちも木を打ちてこんこんと大工ならむかヨーゼフ
アルカディアかんと明るき静谧に论の积み木をしてゐむ表情
君の想ひにわが思慕うまく重ならずなだれむばかりの灯を积む街は
北国の君を待つ椅子かんかんと积みて明るきわれを待つ雪
自(し)が生を势ひ泳ぐ汝がかたへわがためわれは生きたきものを
冬の川しづかにのぼるふた鱼を见失ふまで见て歩み出す
风中の大树笑ひておうおうと见送る种子ぞ北へ赴く
憎ふかく想へば北の獣なる蔵王ぞほそき眼をひらく
住みにゆくわれは蔵王のうらがはに着きてきしきし薄雪を踏む
风の涡まきのぼる空をながれきてゆつくりと鸢はまばたきてをり
月山の端座憎めば女(め)のやうに执念(しふね)く山は黙りこむなり
出羽三山响かふ间(あはひ)つつぬけの空よりわれは降り来しごときよ
鲤のぼりほうとふくらみくたと降るこの缓慢なる力见よとぞ
春の风ゆるみほとりと地蔵町(ぢざうまち) 小児科医院に外灯ともる
游ぶ子の群かけぬけてわれに来るこの偶然のやうな一人を抱けり
茑しげる学栋君は急くやうに追はねばほろぶ学说を追ふ
万の日を万の鸟来て越えざりし鸟海山にぞ视られて仰ぐ
ふと君の表情のなき视野のかなたバベルの塔が风に揺れてゐる
青叶枭(あをばづく)ほほと声してふたり行く悲のうらがはのやはらかき暗
黄金(きん)のきのこ耳たてて売られをる町にわれの足音ひびかせてゆく
4
北国の父母は叹かざる父母ぽうと鸣きぽうとふとりて声のみの木菟(づく)
夜の町に三人の影を重ねゆく〈われ〉より〈われら〉の寂しきことある
君と子とわれと三人(みたり)のトライアングル响く最中に雪降りてゐる
北国の人の心の柔顺を怒れども怒れどもふかき真绵のごとし
あかるさの野より幼(をさな)は帰り来ぬ手纸のやうな雪を抱へて
月山のふかきぬばたま夜をこめて人貌の胡桃音たてて飞ぶ
鬼くるみ月山の夜を太り来てことりと置けばよき颜をせり
II
おもむろにまぼろしをはらふ融雪の蔵王よさみしき五月の王よ
ものおもふひとひらの湖(うみ)をたたへたる蔵王は千年なにもせぬなり
5
ことばもてうつろふものとこゑなくて変はりゆくものいづれが哀し
気まぐれな春の雪片われと子のはるかな间(あはひ)に生まれては消ゆ
坩埚(るつぼ)ふかく雾を煮诘つむる魔女として眠りゆく子をなだめぬながく
III
意地つよく黙れば幼きカインにてかうかうと羽毛のごときもの脱ぎゐつ
湾岸地帯(ベイエリア)乳白の雾にねむる朝ねがへればふかき胸に抱かれぬ
混沌のさきぶれならむピアニシモ目覚めゆくひとがわが名呼ぶとき
ジュラ纪には海なりし広场ほつほつと贝より生れて子らあそびをり
纸コップにコーヒー満つるまでを待つじぐざぐの风になぶられながら
白莲や阿佐绪の直情蔑(なみ)せしに时経て咲(ひら)く痣のごときは
婚姻のやはらかき时间(とき)のかたはらをはたたきて迷ふことなき飞鱼(とび)
よ
合歓合歓(ねむかうか)子を语るわれらたゆたひがふかき力に変はりゆくまで
失语へとはこばれゆくな夏の花咲きみちてわれをゆする桟桥
生活はあるとき心あはれむとヨゼフが闻きし太き言叶よ
父母の庭季节を时の単位としくろがねもちの树影うごきぬ
洗濯机かんまんな涡に消え灯りソドムほのかな火のめぐりをり
椎の実は智恵のごと降りあれは何?あれは何?とふ子の放つ声
斑鸠(いかる)きてぽぽうと鸣けば几时代过ぎたるならむ頬づゑをとく