诗歌散文网 - 赏月的诗句 - 岛崎藤村の诗「初恋」と「椰子のみ」を现代日本语でどう訳したら言いか

岛崎藤村の诗「初恋」と「椰子のみ」を现代日本语でどう訳したら言いか

初恋 岛崎藤村

まだあげ初めし前髪の

林檎のもとに见えしとき

前にさしたる花栉の

花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて

林檎をわれにあたへしは

薄红の秋の実に

人こひ初めしはじめなり

わがこゝろなきためいきの

その髪の毛にかゝるとき

たのしき恋の杯を

君が情に酌みしかな

林檎畑の树の下に

おのづからなる细道は

谁が踏みそめしかたみぞと

问ひたまふこそこひしけれ

现代语を訳すると_

まだあげたばかりの前髪が、林檎の木の下に见えたとき、

前髪にさしたる花栉の花のように美しいあなたと思いけり、

やさしく白い手をのばして、林檎をわれにくれたことは、薄红の秋の実に対して、人を好きになった初めてのことだ。

わがこころなきためいきが、君の髪にかかるとき、たのしい恋の杯を、君の纯爱のおかげで酌みかわしたことよ。

林檎畑の木の下に、自然にできた细道は谁が踏んだ迹なのでしょう、お闻きになる様子が恋しい。

ほらほら!なんだこりゃ!甘いぜ!甘すぎだぜこの初恋!

こころなきためいきが君の髪にかかるとき?って近いよ!エロいよ!(そんな発想するオマエがエロい。

「椰子の実」

名も知らぬ远き岛より

流れ寄る椰子の実一つ

故郷の岸をはなれて

なれはそも波にいく月

もとの树は 生いや茂れる

枝はなお かげをやなせる

われもまた なぎさを枕

ひとり身の うき寝の旅ぞ

実をとりて 胸にあつれば

新たなり 流离のうれい

海の日の 沈むを见れば

たぎり落つ 异郷の涙

思いやる八重の汐々

いずれの日にか国に帰らん

よく知りませんが、ネットでちょっと调べると、下记のような资料があります。

汝 - われ

岛 - 国

実 - 身

実一つ - 孤身

岸を离れて - 流离

波に几月 - 渚を枕、浮き寝の旅

「帰らん」の意味を确认する。 「ん」は意志をあらわしている。意志が书かれているのは最后の行だけである。