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什么是绯句?

是“俳句”不是“绯句”!

俳句

日本古典短诗,由17字音组成。原称俳谐(也写为诽谐)。俳谐一语来源于中国,大致与滑稽同义。它在日本,最初出现于《古今和歌集》(收有“俳谐歌”58首),至江户时代(1600~1867)则有从“俳谐连歌”产生的俳句、连句、俳文等。

俳谐连歌同中国近体诗联句相仿。它的第1句为5、7、5句式的17音,称为发句(起句),胁句(配句)为7、7句式,第3、第4句以后为前两种句式轮流反复,最后一句以7、7句式结束,称为结句。俳句,即取其发句(起句),加上“季题”(表现写作俳句季节的词语)和“切字”(一定的断句助词或助动词),使之成为独立的17字音的短诗。日本著名俳句家,室町时代(1392~1573) 后期有宗鉴、荒木田守武,二人是俳谐连歌作者;江户时代有松永贞德,他提倡俳谐的娱乐性和教养性,号称“贞门”,可谓倾向于古典的一派。当时俳谐尚处于进入俳谐连歌的阶段。另一方面又有西山宗因,主张俳谐的滑稽性,强调创作上的自由奔放,称为“谈林”派。具有这一派特色的还有著名俳句家井原西鹤。一般被称为俳圣的松尾芭蕉,把松永贞德的古典式技巧和西山宗因的自由奔放的散文风格熔铸一炉,并加以发展,摒弃滑稽、娱乐等文字游戏成分,使俳谐成为具有艺术价值的庶民生活诗。17世纪日本俳谐曾一度中落,至18世纪下半叶,与谢芜村号召“回到芭蕉去”,再度呈现繁荣景象。江户时代胁句(配句)以下各句逐渐失去生色,但小林一茶在发句(起句)的创作上表现了突出成就。正

冈子规作为明治时代(1868~1912)的俳谐复兴者,明确提出连句(即俳谐连歌)非属于文学的主张,提倡以连句的发句(起句)为“俳句”文学,依然保存了发句的格律,使它发展成为日本民族最短的诗歌。此后,俳谐连歌逐步衰落,现代虽有少数人加以提倡,依然未见复兴。后来曾有人主张废除“季题”(称为“无季俳句”),否定定型(称为“自由律俳句”),但未成为主导力量。

俳句较多地采取象征和比喻手法,崇尚简洁、含蓄、雅淡,比和歌更为精练。由于诗短,容易背诵和随时随地吟咏,日本从事业余创作的人很多。现代俳句也很发达。

参考书目 井本农一:《芭蕉》,东京,1962。

(李芒)

PS:喜欢俳句的话,我送大家一些:

秋风や牛现はれし崖の上(原石鼎)

一家に游女もねたり萩と月(松尾芭蕉)

あなたなる夜雨の葛のあなたかな(芝不器男)

秋の日のかりそめながらみだれけり(向井去来)

笠にとんぼをとまらせてあるく(种田山头火)

稲妻のかきまぜて行く暗夜かな(向井去来) 稲妻:いなづま

名月や池をめぐりて夜もすがら(松尾芭蕉)

蔓踏んで一山の露动きけり(原石鼎) 蔓:つる

水の蜘一叶に近く泳ぎ寄る(榎本其角) 蜘:くも

ひやひやと积木が上に海见ゆる(河东碧梧桐)

鶏头の十四五本もありぬべし(正冈子规)

田に落て田を落ゆくや秋の水(与谢芜村)

月光にぶつかつてゆく山路かな(渡辺水巴)

淋しさに饭をくふなり秋の风(小林一茶)

ひらひらと月光降りぬ贝割菜(川端茅舎)

曼珠沙华あつけらかんと道の端(夏目漱石) 曼珠沙华:まんじゅしゃげ

みじろぎにきしむ木椅子や秋日和(芝不器男)

色鸟を待つや端居の絵具皿(松瀬青々)

行き行きて倒れ伏すとも萩の原(河合曽良)

柿くへば钟が鸣るなり法隆寺(正冈子规)

にて候高野山より出たる芋(西山宗因) 候:そうろう

石二つ相よる如し秋のくれ(原石鼎)

浮世の月见过しにけり末二年(井原西鹤)

肩に来て人懐かしや赤蜻蛉(夏目漱石) 赤蜻蛉:あかとんぼ

征く君に热き新酒とおぼえけり(石桥秀野)

ぬす人に取りのこされし窓の月(良寛)

さびしさのうれしくもあり秋の暮(与谢芜村)

秋草やどの花折らば人の眉(冈野知十) 眉:まゆ

月さして一间の家でありにけり(村上鬼城)

雾よつつめ包めひとりはさびしきぞ(臼田亜浪)

城见えて朝日に嬉し稲の中(各务支考)

によつぽりと秋の空なる富士の山(上岛鬼贯)

月天心贫しき町を通りけり(与谢芜村)

故郷も今はかり寝や渡り鸟(向井去来)

菊の香や奈良には古き仏达(松尾芭蕉)

秋なれや四条河原の夜更方(北条団水)

鰯やく烟とおもへ轩の煤(室生犀星)

がつくりと抜け初むる歯や秋の风(杉山杉风)

月の夜や石に出て鸣くきりぎりす(加贺千代女)

栗一粒秋三界を蔵しけり(寺田寅彦)

抚子のふしぶしにさす夕日かな(夏目成美) 抚子:なでしこ

四方拝乾坤暗に澄み渡る(青木月斗) 乾坤:けんこん

ニ三尺波を离れて秋の蝶(石井露月)

有る程の菊抛げ入れよ棺の中(夏目漱石)

からまつは淋しき木なり赤蜻蛉(河东碧梧桐)

草の実も人にとびつく夜道かな(小林一茶)

なんにもない机の抽斗をあけてみる(尾崎放哉) 抽斗:ひきだし

浪白う干潟に消ゆる秋日和(大须贺乙字)

知らぬ人と黙し拾へる木の実かな(杉田久女)

まつたく云がない笠をぬぎ(种田山头火)

肠に秋のしみたる熟柿かな(各务支考) 肠:はらわた

唐红叶わが体温と同じうす(阿部みどり女)

立いでて后あゆみや秋の暮(服部岚雪)

咳ひとつ赤子のしたる夜寒かな(芥川龙之介)

さればこそ贤者は富まず败荷(与谢芜村)

新荞麦や熊野へつづく吉野山(森川许六)

芭蕉高し雁列に日のありどころ(原石鼎)

诗に痩せて量もなかりし白き骸(篠原凤作)

秋深くなりて无気味な朝焼す(臼田亜浪)

どうしようもないわたしが歩いてゐる(种田山头火)

行秋や机离るる膝がしら(小沢碧童)

大阿苏の山风が好き吾亦红(あまの树懒) 吾亦红:われもこう

月に行く漱石妻を忘れたり(夏目漱石)

野ざらしを心に风のしむ身かな(松尾芭蕉)

生鱼の切目の塩や秋の风(松江重頼)

曳かれる牛が辻でずつと见廻した秋空だ(河东碧梧桐)

行く秋をいつまで念る峰の钟(川村黄雨)

あらたのし冬立つ窓の釜の音(上岛鬼贯)

初冬の竹绿なり诗仙堂(内藤鸣雪)

初霜や物干竿の节の上(永井荷风)

さかりをや俤にしてかへりばな(内藤风虎) 俤:おもかげ

うしろすがたのしぐれてゆくか(种田山头火)

木曽路ゆく我も旅人散る木の叶(臼田亜浪)

小春日や石を噛み居る赤蜻蛉(村上鬼城)

たたまれてあるとき妖し红ショール(竹下しづの女)

白日は我が霊なりし落叶かな(渡辺水巴)

なつかしや奈良の隣の一时雨(河合曽良)

水鸟や向うの岸へつういつい(広瀬惟然)

ふるぼけしセロ一丁の仆の冬(篠原凤作)

墓のうらに廻る(尾崎放哉)

吹き别れ吹き别れても千鸟かな(加贺千代女)

稲茎に青草のこす冬田哉(西山宗因)

木がらしや目刺にのこる海のいろ(芥川龙之介)

今生も来世もをんな一叶忌(あまの树懒)

忧きことを海月に语る海鼠かな(黒柳召波) 海月:くらげ 海鼠:なまこ

冬笼り虫けらまでもあなかしこ(松永贞徳)

大食のむかしがたりや鰤の前(炭太祗)

冬の夜や针うしなうておそろしき(桜井梅室)

水呑めば葱のにほひや小料亭(芝不器男)

短日の梢微尘に暮れにけり(原石鼎)

児消えぬ奥は山茶花崩れ壁(池西言水) 山茶花:さざんか

拾得は焚き寒山は扫く落叶(芥川龙之介)

禅寺の供物大根五十本(あまの树懒) 供物:くもつ

水底を见て来た颜の小鸭かな(内藤丈草)

ひとり居も驯れれば楽しかぶら汁(永井荷风)

大石や二つに割れて冬ざるる(村上鬼城)

木枯の果てはありけり海の音(池西言水)

雪虫のゆらゆら肩を越えにけり(臼田亜浪)

日短やかせぐに追ひつく贫乏神(小林一茶)

人の世の出会ひの不思议漱石忌(あまの树懒)

山茶花のここを书斎と定めたり(正冈子规)

冬の水栎の落叶しづめけり(青木月斗) 栎:くぬぎ

冬木立ランプ点して雑货店(川端茅舎) 点して:ともして

旅に病で梦は枯野をかけ廻る(松尾芭蕉)

北风や青空ながら暮れはてて(芝不器男)

あたたかき雨にや成らん冬の山(黒柳召波)

叱られて次の间へ出る寒さかな(各务支考)

人待つや木叶かた寄る风の道(山口素堂)

万両は兎の眼もち赤きかな(加贺千代女)

冬草やはしごかけ置く冈の家(松窓乙ニ)

雑音に耳あそばせて日向ぼこ(竹下しづの女)

菊好や切らで枯れゆく花の数(炭太祗)

鸭啼くや弓矢を舍て十余年(向井去来)

枯芦やはたはたと立つ何の鸟(寺田寅彦) 枯芦:かれあし

荒海に日上り冬田小ささよ(原石鼎)

雪道や降诞祭の窓明り(杉田久女)

蒲団着て寝たる姿や东山(服部岚雪)

砂よけや蜑のかたへの冬木立(野沢凡兆) 蜑:あま

糊米や水すみかねて初氷(森川许六)

年迫つて风大虚を鸣らすかな(加藤暁台) 大虚:おほぞら

行く年や壁に耻ぢたる覚书(榎本其角)

大晦日定めなき世の定めかな(井原西鹤) 大晦日:おほみそか